量子コンピュータの出力を「確率分布生成」として監査可能にする公理的構成

An Axiomatic Framework for Auditing Quantum-Generated Distributions
Abstract: 本稿は、量子コンピュータの実行ログ(transcript)を「適応的に生成される確率分布」とみなし、 (i) 測度論(Ionescu–Tulcea によるパス測度の存在一意)、 (ii) マルチンゲール評価(Doob 分解+Azuma–Hoeffding による有限標本保証)、 (iii) 情報論下界(適応 transcript に対する Le Cam 型下界) により、監査として確実に言える保証(上界)と、どんな方式でも避けられない限界(下界)を 1つの形式で提示する。 本稿は「量子が常に最適/唯一」とは主張しないが、量子計算が“確率分布生成器”として振る舞うこと、 ならびにその出力に対して監査可能な誤差保証と不可避な下界が与えられることを公理的に固定する。

1. 測度論的構成

Axiom A1: 標準Borel空間 観測値空間 $(\mathcal{X}, \mathcal{B})$ は標準Borel空間(Standard Borel Space)であるとする。これにより、正則条件付き確率の存在が保証される。
Axiom A2: 量子実装 → 古典確率核への射影可能性 量子計算(量子回路・量子チャネル・量子測定を含む任意の量子実装)により生成される各ステップの観測 $X_i$ は、履歴 $x_{
Definition 1.1: 適応的方策と確率核
  • 履歴: $x_{< i} := (x_1, \dots, x_{i-1}) \in \mathcal{X}^{i-1}$。
  • 方策(Policy) $\pi$: 可測写像の列 $\pi_i: \mathcal{X}^{i-1} \to \Theta$。
  • 確率核(Probability Kernel) $K_i$: 写像 $K_i: \mathcal{X}^{i-1} \times \Theta \to \Delta(\mathcal{X})$ であり、任意の $A$ に対し $x_{< i} \mapsto K_i(A \mid x_{< i}, \pi_i(x_{< i}))$ は可測であるとする。
Theorem 1: Sampling Representation / Ionescu-Tulcea 標準Borel空間 $(\mathcal{X}, \mathcal{B})$ 上の確率核列 $K_i$ と適応的方策 $\pi$ に対し、積空間 $(\mathcal{X}^m, \mathcal{B}^{\otimes m})$ 上に一意な確率測度(Path Measure) $P^\pi$ が存在し、以下の連鎖律を満たす: $$P^\pi(A_1 \times \dots \times A_m) = \int_{A_1} \dots \int_{A_m} \prod_{i=1}^m K_i(dx_i \mid x_{< i}, \pi_i(x_{< i}))$$
Ionescu-Tulceaの定理により測度の存在と一意性は保証される。 なお量子実装の場合も、公理 A2 により各ステップは古典確率核 $K_i(\cdot\mid x_{

2. 推定タスクとLipschitz性

Definition U1: TV距離とターゲット TV距離を $d_{TV}(P, Q) := \sup_{A \in \mathcal{B}} |P(A) - Q(A)|$ とする。 有界可測関数 $h: \mathcal{X} \to \mathbb{R}$ ($|h| \le 1$) に対し、汎関数を $\mu(P) := \mathbb{E}_{P}[h]$ とする。
Definition U1'': パラメータ表現 パラメータ $\theta$ により参照分布 $P_\theta\in\Delta(\mathcal{X})$ が定まるとする。 このとき $\mu(\theta):=\mu(P_\theta)=\mathbb{E}_{P_\theta}[h]$ と定義する。
Lemma U1': TV距離に関する期待値差の上界 任意の確率測度 $P,Q$ と任意の可測関数 $h:\mathcal{X}\to\mathbb{R}$ が $|h|\le 1$ を満たすとき、 $$|\mathbb{E}_{P}[h]-\mathbb{E}_{Q}[h]|\le 2\,d_{TV}(P,Q)$$ が成り立つ。
TV距離の双対表示 $d_{TV}(P,Q)=\frac12\sup_{|f|\le 1}|\mathbb{E}_{P}[f]-\mathbb{E}_{Q}[f]|$ より従う。

3. 有限資源SLAの閉包

Assumption U2-A: 条件付き分布の一様上界 理想(参照)分布 $P_{\theta^\ast}$ を固定する。 各ステップの条件付き分布を $Q_i(\cdot):=K_i(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1})$ とおく。 ある定数 $\gamma\in[0,1]$ が存在して、 $$d_{TV}(Q_i, P_{\theta^\ast}) \le \gamma \quad \text{が全ての } i=1,\dots,m \text{ で a.s. 成立する}$$ と仮定する。
Theorem U2: Doob分解+Azuma-Hoeffding 推定量を $\hat{\mu}_m := \frac{1}{m}\sum_{i=1}^m h(X_i)$ と定義する。 $\mathcal{F}_i = \sigma(X_1, \dots, X_i)$ とする。マルチンゲール差分 $\Delta_i := h(X_i) - \mathbb{E}[h(X_i) \mid \mathcal{F}_{i-1}]$ を定義すると、以下のDoob分解が成立する: $$\hat{\mu}_m - \mu(\theta^*) = \frac{1}{m}\sum_{i=1}^m \Delta_i + \frac{1}{m}\sum_{i=1}^m (\mathbb{E}[h(X_i) \mid \mathcal{F}_{i-1}] - \mu(\theta^*))$$ ここで $|h| \le 1$ より $|\Delta_i| \le 2$ (a.s.) である。Azuma–Hoeffding の不等式($|\Delta_i|\le 2$)を適用すると、任意の $\epsilon > 0$ に対し: $$P\left( \left| \frac{1}{m}\sum_{i=1}^m \Delta_i \right| \ge \epsilon \right) \le 2\exp\left( - \frac{m\epsilon^2}{8} \right)$$ また、仮定 U2-A のもとで、補題 U1' を $P=Q_i,\,Q=P_{\theta^\ast}$ に適用すると $$\left|\mathbb{E}[h(X_i)\mid\mathcal{F}_{i-1}]-\mu(\theta^\ast)\right|\le 2\,d_{TV}(Q_i,P_{\theta^\ast})\le 2\gamma$$ が a.s. 成立する。従ってバイアス項は全体として $2\gamma$ で抑えられる。 $$P\left( |\hat{\mu}_m - \mu(\theta^*)| \ge \epsilon + 2\gamma \right) \le 2\exp\left( - \frac{m\epsilon^2}{8} \right)$$ これにより、SLA $(\epsilon_{total}, \delta)$ を満たすための条件は $\epsilon_{total} > 2\gamma$ かつ $m \ge \frac{8}{(\epsilon_{total}-2\gamma)^2} \ln \frac{2}{\delta}$ として一意に定まる。

4. 情報論的下界と不可避性

Theorem U3: 適応的下界(Le Cam + KL 連鎖) 任意の方策 $\pi$ により生成される観測列(transcript) $X_{1:m}$ の分布を $P^\pi_\theta$ とする。 以後、パラメータ $\theta$ のもとでのステップ $i$ の確率核を $K_{i,\theta}$ と書く(すなわち $P^\pi_\theta$ は核列 $\{K_{i,\theta}\}_{i=1}^m$ と方策 $\pi$ により誘導される)。 2点 $\theta_0,\theta_1$ に対し $\Delta:=|\mu(\theta_0)-\mu(\theta_1)|$ とおく。 任意の推定量 $\hat{\mu}$ に対し次が成り立つ: $$ \max_{j\in\{0,1\}} P^\pi_{\theta_j}\!\left(|\hat{\mu}-\mu(\theta_j)|\ge \frac{\Delta}{2}\right) \;\ge\; \frac12\left(1-d_{TV}(P^\pi_{\theta_0},P^\pi_{\theta_1})\right). \tag{U3-1}$$ さらに Pinsker の不等式より $$ d_{TV}(P^\pi_{\theta_0},P^\pi_{\theta_1}) \le \sqrt{\frac12\,D_{KL}(P^\pi_{\theta_0}\|P^\pi_{\theta_1})}. \tag{U3-2}$$ もし各ステップで絶対連続性が成り立ち、KL 連鎖律 $$ D_{KL}(P^\pi_{\theta_0}\|P^\pi_{\theta_1}) = \mathbb{E}_{P^\pi_{\theta_0}}\!\left[\sum_{i=1}^m D_{KL}(K_{i,\theta_0}(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1})\|K_{i,\theta_1}(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1}))\right] \tag{U3-3}$$ が適用でき、かつ各ステップの条件付きKLが一様に $$D_{KL}(K_{i,\theta_0}(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1})\|K_{i,\theta_1}(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1})) \le \kappa \quad \text{a.s.} \tag{U3-4}$$ を満たすなら、(U3-1)(U3-2)より $$ \max_{j\in\{0,1\}} P^\pi_{\theta_j}\!\left(|\hat{\mu}-\mu(\theta_j)|\ge \frac{\Delta}{2}\right) \;\ge\; \frac12\left(1-\sqrt{\frac{m\kappa}{2}}\right). \tag{U3-5}$$ 従って、誤り確率を $\delta<\frac12$ 未満にすることが可能であるための必要条件として $$ m\kappa \;\ge\; 2(1-2\delta)^2 \tag{U3-NEC}$$ が得られる。すなわち、適応的に生成される transcript の監査において、 「識別困難度($\kappa$)と観測回数($m$)の積」による不可避な制約が存在する。
(U3-1) は Le Cam の二点法による。 (U3-2) は Pinsker の不等式による。 (U3-3) は適応的確率核の連鎖(chain rule)であり、(U3-4) を仮定すれば $D_{KL}(P^\pi_{\theta_0}\|P^\pi_{\theta_1})\le m\kappa$。 これを (U3-1)(U3-2) に代入して (U3-5) を得る。最後に (U3-5) の右辺が $\delta$ 以下となるための必要条件が (U3-NEC) である。
Note U3-Q: 量子コンピュータへの適用 量子コンピュータの実行は、公理 A2 により各ステップで古典確率核 $K_{i,\theta}(\cdot\mid \mathcal{F}_{i-1})$ を誘導する。 よって定理 U3 は量子 transcript にそのまま適用できる。 さらに量子側で $K_{i,\theta}$ が「量子状態→測定」の形で与えられる場合、 測定は情報を増やさない(データ処理不等式)ので、条件付きKLの上界評価を量子相対エントロピー等で上から抑えることができる。

5. 結論

以上により、量子コンピュータの実行ログ(transcript)を「適応性確率核列」として扱う最小公理(A1,A2)の下で、 (i) 有限標本での誤差保証(U2)と、(ii) 避けられない情報論的下界(U3)を同一の形式で与えた。 ここで提示したのは「特定の物理実装の優劣」ではなく、監査として確実に言える“保証”と“限界”を、仮定ごとに切り分けて固定する枠組みである。 従って、入力仕様(許容誤差・失敗確率・観測回数・理想分布からの偏差)に対し、何が数学的に保証され、何が原理的に不可能かを、明示的に判定できる。

参考文献 / Selected Bibliography

本監査レポートの証明構造を公理的・測度論的に固定するために、以下の一次文献および標準教科書を理論的支柱として採用した。
A. 測度論・確率核・Ionescu–Tulcea
  • Olav Kallenberg, Foundations of Modern Probability (Springer, 2021). 公理A1および定理1の理論的支柱。標準Borel空間、正則条件付き確率の標準的参照。
  • D. P. Bertsekas & S. E. Shreve, Stochastic Optimal Control: The Discrete-Time Case. 「確率核列+方策→パス測度」という制御付き定式化の工学的定番。
B. マルチンゲール/Doob 分解/Azuma–Hoeffding
  • Wassily Hoeffding, “Probability inequalities for sums of bounded random variables” (JASA, 1963). 定理U2の指数型評価の原典。定数評価の基礎。
  • Igal Sason, “On refined versions of the Azuma–Hoeffding inequality ...” Azuma–Hoeffding の精密化。SLA算出の信頼性を担保。
C. TV距離・Pinsker・情報量
  • Yury Polyanskiy & Yihong Wu, Information Theory (CUP Draft). KL・TV・各種不等式を非漸近的視点で整理した現代的参照。
  • Cover & Thomas, Elements of Information Theory (2nd ed.). 情報理論の標準書。
D. Le Cam 下界・適応的 transcript
  • Lucien Le Cam, Asymptotic Methods in Statistical Decision Theory (Springer, 1986). 定理U3の核心である “Le Cam の補題” の正統派参照。
  • Tor Lattimore & Csaba Szepesvári, Bandit Algorithms (CUP, 2020). 適応的データ収集と下界議論の参照元。
  • Emilie Kaufmann, et al., “On the Complexity of Best-Arm Identification ...” (JMLR, 2016). 適応的確率核の連鎖律と下界議論に直結。
E. 量子インストゥルメント/測定の確率化
  • E. B. Davies & J. T. Lewis, “An operational approach to quantum probability” (1970). 量子測定を Instrument として扱う際の古典的基礎文献。
  • John Watrous, The Theory of Quantum Information (CUP, 2018). 量子チャネル・測定の数学的定式化。
【本監査レポートの性質について】

本稿は、純粋数学的な真理探究ではなく、産業実装における「システムとしての説明責任(Accountability)」と「有限リソース下での検証可能性(Auditability)」を評価基準とした、工学的監査レポートです。数理モデルは、現実の運用リスクを最大限に可視化するために構成されています。